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お盆のこと。(その2) 

 義理の家の義弟は東南アジア出身(本人が本国に誇りを持っているので帰化はせず)なのですが、たまにチョロっといい発言をしてくれます。

 私は嫁の立場なので、もっと深く話し合いたいと思っても、他の家族がスルーする以上、突っ込むことも出来ず、内心感心するのみなのですが、今回はこんなことを言ってました。

 「今の日本人はおかしいよ。大人も子供もゲームばかりしてる。外食で店に行っても、店でもゲーム、買い物行ってもゲーム。大人も朝7時に会社来て、携帯見てるから何してるかと思うとゲーム。異常だよ。

 僕が10年前に日本に来た時、みんな電車の中で本を読んでたよ。感心したよ。今はどう?みんな携帯見てる。ほとんどゲームだよ。どうしてこうなった?!」

 ・・・確かに、と内心思いました。

 自分もよく携帯でゲームしているので。

 ネットサーフィンしているだけでも読書の時間は減ってるのですが、プラスゲームもやってると、本当に本をじっくり読むことが少なくなり、その分、語彙が減って、難しいことを考える能力が下がっているのを感じています。

 3S政策とはよく聞く話ですが、このようなネットゲームの普及も、影で日本人を愚民化しようとする思惑が働いているとするなら、見事にハマっているのではないかと感じました。

 義弟は母国でかつての日本人が東南アジアを白人国家の植民地から解放したという教育を受けて尊敬していたそうで、以前にも今の日本人はおかしい、あの頃の日本人の誇りはどこに行ったと問いかけてくれました。

 そういう第三者の目で提言してくれる外国人の意見は傾聴に値すると思います。

 立場が立場なので、いつも踏み込んで聞けず残念なのですが、これを期に、携帯のゲームとは少し距離を置いて、また読書にも向き合いたいと思いました。
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お盆のこと。(その1) 

 週末から駆け足で実家にも帰省してきました。

 珍しく親同士の喧嘩を見ることもなく、心穏やかな帰省になりました。

 そして、本当に珍しく、私の帰省に合わせて顔を出した姪っ子が、生まれて初めて実家にお泊りをすると言い出し、単独で泊まって一緒の時間を過ごすことに。

 正直なところ、自分が子供に恵まれないこともあって、子供という存在にどう接していいか戸惑いもあったし、遠距離に住んでいる為、これまで年に数回、数時間上っ面の会話しかしたことがない姪っ子と長時間向き合って、どう過ごしていいか困ったのですが、

 弟の子供の頃のアルバムを見せながら、弟の思い出話を聞かせたり、仏壇の下に仕舞ってあった先祖の写真を見せて、XX家の先祖についての話をしたりして、ふと気づけば他人行儀な枠を外せて、本音トークをすることが出来るようになり、実にお盆らしいお盆を過ごせて、よい想い出とすることが出来ました。

 もう少し大きくなれば、姪っ子も上の学校に行って部活も始まって、祖父母の家にも寄り付かなくなるだろうし、今回のことはいいタイミングで先祖が引き合わせてくれたのかなと感じた帰省でした。


 そして私自身、仏壇の下の写真のことをすっかり忘れていたのですが、今回姪っ子に話すにあたって改めて曽祖父の写真を見て、添えられている勲章が気になり調べてみると、日露戦争の従軍の証と、勲8等(7等?)瑞宝章であることがわかり、こんな内陸の山奥からも日露戦争に出征したのかとしみじみすると共に、曽祖父ってどんな人生を歩んで亡くなったのか知りたいと思いました。
 
takahati.jpg

 でも、もう祖父も祖母もとうに亡くなっており、親は健在だけど聞いたことがないそうで、昔の家もとっくに取り壊され、位牌とこの写真が残るのみ・・・。私が今の姪っ子くらいの年に興味があれば間に合ったと思うのですが、残念でなりません。

 考えてみれば、そんな立派な名士とか社会的に成功した人でなくても、先祖をみれば、地道に一生懸命生きた人もいるだろうし、そんなちょっとした先祖のエピソードを聞くことによって、過去から自分へと続いている血に気づき、誇らしくなったり、自分は何が出来るのか、次の世代にどうバトンタッチ出来るのかを考えるきっかけになるのではないかと思うのです。

 でも、今の時代は、即物的で、同居も面倒だからと別居が殆どで、当然家もどんどん新しく新家が建ち、古いものは壊され、金目のもの、価値があると認められるもの以外は捨てられていきます。

 よっぽど由緒ある家以外は、家という観念自体が前時代的なものとなり、自分の祖先にどんな人がいて、その当時はどんなだったのかを知ることもない。

 そう、自分中心ですごく狭い身内さえ良ければいいという価値観は、すごく寂しいものではないかと感じました。

 もう遅いかも知れないけれど、今からでも、小学校の教育で、「自分の先祖のエピソードを祖父祖母世代に聞く」ということを始められたらいいのになあと思います。

 でも、そういうのって、出自の問題とあいまって、やれ差別だの煩い話になるのでしょうかね?

 適当な先祖が見当たらなければ、地域でもいいと思うけど、子供の立場で、ちょっとでも身近なちょっと誇らしくなる人のエピソードを知るのは、学習意欲の増進にもなると思うし、地域や歴史への興味も沸くいい題材になると思うのですが・・・。


 祖父母の家は、古くて薄暗くて、よくわからないものが沢山で、天皇陛下の写真も含め、写真も沢山ありました。

 でも、父母はその手のものに興味がなかったので、直系のこの曽祖父以降のもの以外は全て捨てられており・・・、30年前にタイムスリップ出来たら、色々他にも何かあったんじゃないかと思うと、本当に残念です。

”大将”のこと。 

 このブログにも、”永遠”のHNで書き込みして下さってた”大将”が亡くなったと、仕事中ネット仲間からメールが届きました。

 なかなかブログの更新がされてなかったので、体調が心配で、今朝もメールしたばかり・・・。本当に残念でなりません。

 享年59歳。まだまだ若かったのに。


 大将との付き合いは、思い出せないくらい昔で、チャット全盛時代の頃から。友達の友達・・・で知り合ったけど、偶然同じ業界に勤めてたり、同じ思想だったりして、いつからか仕事の愚痴から政治まで、従兄弟のあんちゃんみたいな距離感で付き合ってきた友達でした。

 同じ名古屋ということもあって、「今度小旗奉迎やるから来て」「講演会あるから来て」と誘うと、仕事の都合を合わせていつも参加してくれたり、某基地に営業に行くのに同伴させてくれて基地内案内してくれたり、予備自の訓練のことなど、普段知りようがない話を教えてくれたり・・・、大将とHNで名乗るだけあって、まさに大将そのものの、たくさんの人にリアルでも慕われてて、根っからのお世話好きでポジティブで楽しい人でした。

 がんになって手術したあとも、予備自の訓練に参加したり、仕事を同じように頑張ってたので、不死身なのかと思ってたけど・・・、病魔には勝てなかったようで、ここ数ヶ月の日記は、がんゆえの身体の苦痛と家族への感謝の記述ばかりになっていて、更新もたびたびになり、身辺整理のことも書いてあったので、気になっていました。


 でも、大将はたくさんのお孫さんはじめ愛するご家族に囲まれて、きっと幸せに旅立ったのだと思います。

 ずっと痛みを訴えてたから、その痛みから解放された今は、安らかな気持ちでいると思いたいです。

 夏に新たに生まれるお孫さんを見たがってたから、本当はもっと生きたかったんだろうけど・・・。

 
 大将にはいつも励ましてもらうばかりで、がんが進行して苦しんでるのがわかっても上手い励ましの言葉が見つからなくて、結局通りいっぺんの言葉しか伝えられず・・・、またいつも協力してもらってたのに、3月末にオフ会のお誘いもらったのに断ってしまって、そのままになってしまったのを今更後悔しています。

 いつでもまた会えると思ってたんですよね・・・。


 でも、こうなって改めて気づくのが、ネットから始まる友達って、このようなことがあって、お別れに駆けつけたいと思っても、通夜も葬儀も知りようがないってこと・・・。

 なんだかんだ言っても、そこに限界があるんだよなあと・・・。


 大将のブログも・・・、どうなるのかな・・・。


 私も、ツイッターとかブログとかしてるけど、万が一のときに、誰も削除出来ないまま、ログが残っていくのかな・・・と思うと、定期的に削除してった方がいいのかなと思ったり・・・。ネット時代ならではですね。

 

 あの日もらった自衛隊の帽子が、形見になるとは思わなかった。


 大将のご冥福を心からお祈りします。

 そして、大将も心配していた日本の未来が、明るいと、いいなあ・・・。
 
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