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シベリア抑留関係展示会へ行く。 

 長らくブログ放置しててすみません・・・。

 書くようなネタもなく、段々腰が重くなり放置してました。

 本日、みよし市で開催されていた「シベリア抑留関係展示会 抑留体験の労苦を語り継ぐ集い」に参加してまいりましたので、久しぶりにブログを書こうと思いました。

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 シベリア抑留に関しては、平成18年に開催されている展示会を見て以来の参加です。

「シベリア抑留関係展示会」を観て。

 たまたま、今日は講演会もあるということで、講演も聞いて来ました。

 最初に会長から基調講演ということで抑留が起こった背景などの総体的なお話があり、続いて3名の方の体験談を伺いました。会長の91歳なのにシャンとして声も大きくて頭脳も明晰なのにも驚かされましたが、92歳から95歳の方々が、誰一人席に座ることなく、シャンとして演台でお話されるのにびっくりしました。

 でも、考えてみたら、「奴隷よりひどい」という過酷な抑留生活を生き抜いた方々だから、やはり丈夫なのかも知れませんね。

 4名の方、それぞれに収容された場所が違い、まともに食料もなく、劣悪な環境で働かされ、朝起きたら隣の仲間が冷たくなっていた、という過酷な体験をされた方もいれば、冷暖房が整った収容所で、4年で亡くなったのが500名中4人という方もいて、その方は「シベリア抑留のおかげで人生が変わって、健康に生きれることや周りの人全てに感謝して生きれるようになった」と話されてて、それぞれに背景が違うだけに捉え方も違うのがわかり、それをまとめて協会としてやっていくのは大変だろうな、と感じました。

 4名の方のお話で改めてわかったことは、日本は物資が圧倒的に不足してる中で戦っていたこと。前線に居た兵士たちにはそのおかしさがよくわかっていたこと。ソ連が日露戦争の恨みを晴らさんとばかりに日本の武装解除後に行った虐殺行為は、今中国が盛んに主張している南京大虐殺どころじゃない本当の大虐殺だったこと。満州でラジオから玉音放送が流れるのを聞き、関東軍の司令室に今後の指令をもらいにいったら逃げ出しててもぬけの殻だったこと。戦後遺骨収集に関しての政府の答弁は言葉だけでまともに果たされてないこと。戦争で一番割を食うのは国民だということ・・・。

 でも、最後の質疑応答で、質問に立った男性が

 「今、日本は危険な方向に行こうとしている。9条改正や集団的自衛権など、戦争への道を進もうとしている。私たちはどうしたらいいのだろう?」

 と話し始め、後ろの席の女性2人組(60くらい)が

 「そうよねえ、うちも息子が、長男が戦争にとられるんじゃないかって話してたわよ。安倍さんはとられるような子供が居ないからそういうことが出来るのよ」

 なんて話し始めるので、

 (え?!この会の方向性ってそっちなの?武器がない、守れない、戦争はダメだけでじゃあ外国から攻められたらみんなが抑留者のような体験することになるかもしれないのに?やられるままになるの?!)
 
 と内心オロオロしてたら、会長が「あくまで会の主張ではなく、私個人の考えですが」と前置きした上で、

「日本は今平和だと言ってるが、どこが平和かと思う。北方領土は占領されたままだし、竹島だって韓国に占領されている。北朝鮮に拉致被害者は拉致されて5人の方以外30年も帰ってこれない、尖閣諸島だって日本の領土なのに資源があるとわかった途端中国が自国の領土と主張してきてる、これのどこが平和ですか?

 戦争はダメだけど、平和を守って欲しいと思うけど、じゃあ話し合いで相手が譲ってくれますか?戦後70年経っても北方領土も竹島も返ってこないじゃないですか?ちっとも話し合いは進展しないじゃないですか?

 日本国憲法の前文に”諸国民の公正と信義に信頼して”という言葉がありますが、日本の周辺のどこにそんな国がありますか?」

 と力強く話され、質問した男性も「そんな国ないです。みんな自国の利益が一番大事です」と説得されてるし、後ろのおばさんたちも黙っちゃうしで、内心拍手喝采でした。

 会長は、「憲法を改正するしない、集団的自衛権に賛成反対、どちらでも個人それぞれ考えはあると思うが、私たちは平和が守られることだけを願ってる」とのお返事で、91歳でこの切り返しでそつのない返答に感心しきりでした。

 「戦争は悲惨だ、平和を守ってほしい」という主張になると、左翼の護憲運動に利用される面もあるようで、会長は過去に一度、9条を守る会のような左翼系講演会への打診を受けた際には、「体験談は話すけど、その場で9条をどうこういう話だけは絶対にしないでくれ」と断りを入れたそうです。

 閉会後も、会長は質問者に熱心に話かけられてて、「マスコミの論調をそのまま鵜呑みにしたらいかん。彼らも自分の利益のためにやってるのだから、自分の頭で考えるようにしなさい」と言われてるのを聞き、本当に長生きしていただきたい方だと心から思いました。

 もっと個人的にお話聞きたかったので、入り込む隙間がなかったのは残念でしたが・・・。

 その後、ホールのイベントスペースに丸テーブルと椅子があったので座っていたら、体験者の方が座られて、お話をお聞きすることに。

 20歳で徴兵されて、22歳で抑留され、そこから4年間、「奴隷より酷い」生活をしてきたと。

 ソ連は無料で使える労力が欲しかったし、日本は戦争で負けたから、自分たちは人身御供だったと。

 遺骨収集にしても、補償にしても、言葉だけで進展せぬまま、そして90超えた方々が年々亡くなって行くというのは、体験者の方々が言われるように、戦争で割を食うのは国民なんだなと思わされます。冷たすぎる仕打ちですよね。

 私は日本は誇れる歴史と文化を持っている国だと思ってるけど、近代の政府や軍部の上層部のやり方はそれとは違うんじゃないかな、と改めて感じました。

 いつかまた会長のお話をお伺いしたいと思います。
 

シベリアに 眠りし 友の 帰還待ち 語り繋ぎて 卒寿超えにし
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護国神社の献灯祭に行きました。 

 今日は、愛知県護国神社の献灯祭に参加して来ました。

 ちょっとバタバタやることが山積みで、開始時間の6時に間に合わず、着いたら7時で点灯も済み、帰り始めている方々もいたのですが、

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 参道でちょうどお帰りになる藤沢ただまさ名古屋市議とバッタリ会ってびっくり。

 久しぶりにきちんとご挨拶出来てよかったです。

 市長選は残念でしたが、本当に素晴らしい方なので再起を期して活躍していただきたいと改めて思いました。


 本殿のほうへ向かうと、雅楽が流れてて、巫女の舞が奉納されているところでした。 

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 なんか所々覚束ない所作が見られて、あれ?と思いながら観ていたら、地元の小学生に寄る舞と知って合点。

 でも、浦安の舞、結構長い時間のものなのに、きちんと覚えてて感心しました。

 親御さんもきっと喜ばしく、誇らしく見守っていたことでしょうね。

 子供の舞を見たのは初めてでしたが、こういう機会を通して日本の文化が伝承されていくと思うと、よい試みだし、長く続いてほしいと思いました。



 そしてここでも、去年も会ったT氏とバッタリでまたビックリ。

 それなりに人がいるのに、探すまでもなく縁がある方に再会出来るなんて、見えない何かで引き寄せられてるのかなあと不思議に思いました。


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 闇の中に浮かぶ数々の灯り、いつもながら幻想的で心に染みます。

 このひとつひとつに一人ひとりの祈りと思いが込められています。


 
 来年も是非参加したいと思いました。

 誰でも参加できる行事ですので、是非お近くの方は来年、訪れてみてくださいね。




(参考過去レポ ■愛知県護国神社の「献灯祭」に行きました。
 

殉国七士慰霊祭体験記。 

(*この記事は、以前楽天ブログでやっていた時の過去記事をキャッシュで復元させたものです)

 今日は、愛知県の三ヶ根山「殉国七士廟」で開催された第62回殉国七士慰霊祭に参加して来ました。

(慰霊祭に関する詳しいレポートは過去記事その1参照のこと)


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 毎年4月29日に開催される慰霊祭。いつもは帰省と重なるのでなかなか参加出来ないのですが、今年は帰省しないことになったので、3回目の参加をすることが出来ました。


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 初めて参加してから5年。感想は1回目と2回目の参加の時と同じなのですが、やはり遺族の方々がお年を召されていること、全体的な参加者の年齢も高齢化していることを痛感いたしました。


 そして、今回は一番後ろで参加させていただいたのですが、献花の名札見てもわかると思いますが・・・玉串奉天の時の様子を拝見するに、いわゆる本物の右翼団体の方々(そのうち日本青年社の方々が殆どだけど)が参列者の過半数以上を占め、残りが遺族と一般参列者等という状況でした。

 右翼の方々が来られる事、その志篤く、日本青年社の方々などは遠く東京から観光バスで来られるので、それはそれでとても尊いことだとは思います。

 でもやっぱり、最初に参加した時にも感じたけど、特殊な人たちの集まりではなくて、もっと普通の、市井の人々が参加してくれるようになったらいいのになあと思います。

 遺族の方は勿論、この慰霊碑を維持し、慰霊祭を毎年執り行ってくださっている幡豆の商工会の方々も、そう思われてるんじゃないかなあ・・・。


 
 そうそう、今回は、オペラ歌手の森敬恵さんの奉唱があって新鮮でした。

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 「埴生 の宿」「荒城の月」と独唱され、ラストの「海ゆかば」は皆で歌って、なかなかよかったです。

 
 式典が終わった後に振舞われた幡豆の名物「あさり汁」も最高でした!(食べ物ネタになると急に力が入りますが、本当においしかったので^^;)

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 こんなにたくさんのあさりが入ってる振る舞い汁なんて初めてで、滅茶苦茶出汁が効いてておいしかったです!

 赤味噌もお土産に売ってるのですが、知人に薦められるままに買ってしまいました。

 (我が家は通常あわせ味噌なんですが、少しは貢献しようと思って^^;)



 あさり汁を堪能したあとは、久しぶりに再会した友達とそのお友達と一緒に付近の慰霊碑群を回りました。

 こういう場所に来るのが初めてというお友達は、かなり最初気後れしていたようだったけど、慰霊碑群の存在には驚かされたようで、一つ一つを興味深そうに観ていたのが印象的でした。

 
 愛知県に住んでいても、いわゆる保守活動に関わっていても、この三ヶ根の慰霊碑に来たことのない人がたくさんいると思います。

 本当は学校教育で取り上げられる場になって欲しいくらいだけど、そんな大きなことをどうこう出来る力もないので、とりあえずはまた身近な仲間から、機会見つけてお連れ出来たらいいなあと思います。



【新芽吹く 青空旗めく日の本の 真白き姿に 心添わせて】

【友悼む 数多の碑文を 眺むれば 知らぬ身なれど 涙流るる】

【忘れまじと 老うた身寄せて 友祀る 想いの深さに 言葉掛けれず】
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