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台湾旅行記。(2009/11/9-14) 

(*この記事は、以前楽天ブログでやっていた時の過去記事をキャッシュで復元させたものです)

 今日から台湾に来ています。

 極普通の観光ツアーで初台湾です。

 が・・・、これも縁なのか、はたまた台湾がそういう国なのか、初日から”愛国ツアー”になっています。


 空港で現地ガイドさんと合流して、自己紹介受けながら

 「みなさんは日本に生まれて幸せだと思いますか?思わないといけませんよ。大和民族は優秀なのですよ。戦争の時は、ロシアやアメリカ相手に対等に戦ったのですから・・・。」

 と言われた時は、まだ日本人向けのリップサービスなのかなあ?と思っていたのですが、その後観光地に向かいながら、日本の統治時代に日本人が台湾に米とさとうきびの栽培技術をもたらしてくれたから、台湾は豊かな国になった・・・と話が続き、”ん???”と・・・。


 その後、台中の”宝覚寺”に向かいながら、さらにお話は続きます。

 ガイドブックだと宝覚寺の大きな布袋様の仏像の画とともに「日本人の遺骨1万4000体が奉られている」とさらっと書いてあるだけなのですが、この宝覚寺は、

 そもそも日本人の住職が建てた
      ↓
 戦争が終わって、日本人が引き上げたあとに、日本のお寺に修行に行っていたチンさんが戻って来て後を継いだ
      ↓
 戦争では台湾もアメリカの爆撃を受け、あちこちの日本人の墓が破壊されたままになっていて、処理に困った人たちからのヘルプがチンさんの元に来る
      ↓
 チンさんは問い合わせが来るたびに自分の足で出向き、遺骨を収集、気づいたらその数が1万4000柱になっていた
      ↓
 日本に引き上げた日本人たちが、暮らしが落ち着いたころ、自分の肉親の遺骨を捜しに台湾に来始める
      ↓
 供養塔が建立される


 ・・・という歴史があるお寺なのだそうです。

 
 そして、その供養塔を40年間、毎日掃除やお花のお供えをして守っている”ヨウさん”という80歳のおばあちゃんがいて、紹介していただきました。

 おばあちゃんは、

 「私は日本の統治時代に感謝しているからお世話をしている。皆さんが台湾でよくしてもらえるのは先輩のおかげ。先輩に感謝をしてください。」

 と話され、いくつかの日本語の歌を歌ってくださいました。


 また、ガイドさんも、ツアー参加者(年配の女性)が『日本は戦争の時に台湾にひどいことをしたんでしょう?ごめんなさい。』と謝ったら、

 「謝ることはないよ。当時はそういうものだったの。それに日本人だって、台湾のためにたくさん死んだんだよ?」

 「日本政府ははじめ台湾はマラリアなどの疫病もあるし、米も育たないし、台湾を放棄しようとしていたんだよ。それをXXやXXがXXして(このへん記憶できず)・・・、だから台湾人は結果的には日本人に感謝しているんだよ?」

 と日本人でさえ学習していない歴史について淡々と話してくださって、法覚寺を去る際にはヨウおばあちゃんが

 「日本と台湾はね、切っても切れない間なのよ。私も生きている間は供養塔をお守りしますから。よろしくね。」

 と握手しながら話してくださったので、私もなんかもらい泣きしそうな感じになってしまいました。


 明日は、日本人とともに南洋戦線を戦って、生還したおじいちゃんの話を聞く機会があるそうです。

 これが李登輝友の会のツアーとかならわかるのですが、普通の観光ツアーでもこうなのがスゴイことですね。
 
(他の参加者はどう思ってるのか不明ですが^^;)

 私は今まで、李登輝友の会の方とお話する機会はあっても、深く台湾のことを知る機会がなかったのですが、おかげさまで色々と勉強させていただけるツアーになりそうです。




             *****************



 引き続き”極普通の観光ツアー”の筈の愛国ツアーに参加しています。

 色々ありすぎてどう書いていいかわからないので箇条書きで。

・地震で崩壊したお寺の再建に日本からたくさんの寄付が来て、名前が彫られていたり、また統治時代の話で、台湾の良質な木材から家具をつくる技術を導入したり、台湾の鉱物分布を調べ、現在の台湾で一番の温泉をつくったり・・・、本当にたくさんの台湾と日本のつながりが過去だけでなく現在も両国間にはあることを教えていただきました。

・途中、八田与一の作ったダムも通ったので、八田与一の生涯とその功績について詳しく教えていただき、「台湾政府は彼に感謝して、今でも毎年慰霊祭を行っている」ということも話してくださったので、びっくりしました。

 何も知らない参加者も、”日本は戦争で酷いことしたんだよね。ごめんなさい。”という視点以外の知識や感覚を、今回のツアーで聞いたたくさんの現地ガイドさんの言葉や資料を通じて伝わったんじゃないかな、と思います。


・南洋戦線に行って、生還した「リュウさん」という93歳のおじいちゃんとお会いすることが出来ました。
 別れ際、握手をしながら、私の手にそっと飴玉を3つ持たせてくれて、
 「こんな若い人が台湾に来てくれてうれしいよ^^みんなには内緒だよ^^」
 と目を細めて笑って下さったのがありがたかったです。

・バスの車内で、カラオケ講習がありました。
 「サヨンの鐘」という歌です。
 これは、実在の話をもとにつくられた歌で、wiki借りると

”昭和13年(1938年)、日本統治下の台湾・台北州蘇澳郡蕃地大字リヨヘン社に駐在していた日本人の巡査に召集令状が届き、出征することとなった。その巡査は村の学校の教師も勤めるなど面倒見がよく、村人から慕われていたため、山から下りるときの荷物運びを村の青年たちが申し出た。17歳の少女サヨン・ハヨンもその一人だった。出発の日、折悪しく悪天候の中、一行は山を下ったが、途中の川に掛かった丸木橋を渡るとき、荷物を背負ったサヨンが足を滑らせて増水した川に落ち、命を落としてしまった。”

 ということなのですが、この瀧田正則巡査と、サヨン・ハヨンは当時恋仲であったことが、数年前サヨンの姉がテレビで告白し台湾で話題になったと教えてくれました。

 ”今回台湾来たからには、この歌だけは覚えて帰ってください”と3回も歌詞カード配布+練習したので、みんなバッチリになったと思います。



 また、台湾では近々選挙があるようで、あちこちで大きな看板やのぼりを見ます。
そのことをガイドさんに聞いたところ、面白い(?)話を聞かせてくださいました。

・王という字は、一番上が天、一番下が地、そして真ん中に国民がいて、その国民を天と地の間に立って支えるのが”王”であるけれど、近頃の台湾の政治家には、王に足る人物がいない。いるのは、自分の利権を作り、守り、金を儲けようとする自己中心的な人間ばかりだ。

・台湾では今、首相が砂利利権に絡んで殺人などで服役した経験のある893と一緒に外国旅行に行っていたことが野党の調査でバレて大騒ぎになっている。それを正当化するために、同行者が893とは知らなかっただの釈明したが、今度はそれが政治資金規正法に抵触することになり墓穴を掘っている。台湾では政治不信が深刻だ。

 ・・・なんか日本とそっくりじゃないですか?

 選挙の看板みても、民主党が衆議院選挙でやったような公約があちこちに書かれてるし、そういう点でも親近感覚えました^^;



             *****************


 旅の後半は、中正記念堂(旧台湾民主紀念館)や忠烈祀だったので、台湾の歴史に関するお話をたくさん聞きました。

 まとめれないので箇条書きで以後書きます。

・日本による51年の統治は、その間に、台湾の医療・教育・インフラ整備をしてくれたということで、結果的には感謝しているが、押さえつけられているのも事実であった。

 だから、戦争が終わって日本軍が台湾から去って行った時、大陸から来る漢民族を、台湾人は港で旗を振って出迎えた。

 ところが、その船から下りてきた兵隊は、服装もいい加減、規律もなく、だらしない姿勢の人ばかりで、台湾人は口には出さなかったけど失望した。

 その後、その兵隊たちは、物は盗む、女を見れば暴行(強 姦)する・・・、最悪だった。

 台湾人は、台湾人のことを”里芋族(台湾の形から)”大陸から来た漢民族を”薩摩芋族”と区別した。年寄りに聞けばわかる。


・蒋介石は偉大な指導者で民族の英雄であるけれども、2・28事件や、戒厳令を敷き、白色テロによる支配を行って、どちらとも4万人の台湾人を虐殺した一面もある。

 たくさんの台湾人が殺された。

 2.28は、ひとつの事件であったけれども、その後それを批判する台湾の知識人や有力者を口封じするために、白色テロをやって、どんどん島流ししたり殺した。

 台湾人には、未だに何故自分の親が殺されたのか、何処に自分の親が連れて行かれたのか、わからないままの人がたくさんいる。


・台湾では国民党と民進党が戦後の軋轢のまま両者の足を引っ張ろうとしているから、政治がなかなか安定しない。

 日本は自民党のもと、そういうことがなく経済発展だけを目標に頑張れた。だから台湾よりも早く発展できた。経済的に豊かになろうとすれば、政治が安定しなきゃダメだ。


 他にも、原住民のことなども色々教えていただきましたが、一番私が印象的だったのが、以下のお話でした。


 『台湾人は可哀相。

 日本人から押さえつけられていたのから解放されたと思ったら、今度は大陸から来た漢民族にやられちゃったんだから。

 でも、台湾人は馬鹿なんだよ。

 蒋介石が連れてきた大陸から来た中国人は200万人、台湾人の1/6しかいなかったの。
 だから、白色テロの最初に人が殺され始めた時、みんなで団結して声をあげて抵抗すればよかったのに、しなかった。

 おとなしすぎた。』


 なんか、今の日本みたいだなあと思いながら聞きました。

 今、日本も外国人参政権によって、外国政府の傀儡政権が生まれる可能性が出ようとしています。

 中国の歴史に詳しい人なら、中国人がどれだけ腹黒く残虐なことを平気で出来るかわかると思います。

 中国共産党一党独裁でまともな選挙もない国、文化大革命のようなことが平気で起こる国の人に選挙権を与えて、一般永住者の中国人を通して日本の政治に中国共産党の意向が反映されるようになったらどうなりますか?

 大人しい日本人は、白色テロの時の台湾人のようになるでしょう。

 だから、後で後悔しないためにも、外国人参政権は絶対に反対しないといけないと思いました。


 あとは、政治関係ない気づいたネタでも。

・台湾ではスクーターの数が物凄かったです。
 人口の1/2以上のスクーターがあるそうで、どこを見てもスクーターがまとまって走ってるし停めてありました。
 ちなみに家族だと4人乗りOKらしいです。
 高校生の3人乗りは捕まえても、警察は「車買えずに家族で頑張ってるから」と見逃すんですって。

・そして、交通もすごいです。
 日本みたいに車が整然とレーンを走ってなくて、なんかワラワラゴチャゴチャしてて、そこに大量のスクーターも混じって・・・、よくあれで事故が起きないなあと感心しました。^^;
 
・犬や猫が自由にのんびり生きてました。
 日本だと、首輪につながれてない犬はすぐ保健所に通報されて捕獲されちゃうから、野良犬というものがいないけれど、台湾の犬は、鎖に繋がれている方が珍しく、みんなのんびり歩いて、のんびり家の庭(道路)先に座ってます。

 でも、ものすごく大人しくて落ち着いてるのです。
 たぶん、生まれてからずっとそうだから、”放れている”ことにガツガツしていないのでしょうね。

 猫も、何匹も駅の中で、のんびり過ごしていました。
 日本だったら、すぐ邪魔扱いされて追い立てられたりしそうなのに。

・都会にも田舎にも、立派な鳩小屋がたくさんありました。
 鳩レースで賭け事するのが好きみたいです。

・法輪功が何処にでもいました。
 朝4時から7時くらいまで集団で修行(?)してるのをホテルで見たし、その後の観光地でも何処にでもいました。

 車に横断幕、パネルなどで中国共産党の非道な虐殺・拷問を訴え、大紀元や諸々の告発資料を観光客に配っていました。

 日本でそのようなことをすれば、すぐに観光スポットの人たちが飛んできてクレームつけそうだけど、誰も何も言わないみたいで、結構不思議でした。

 中国共産党の恐ろしさは台湾人自身が知っているので、干渉しないのかなあと思いましたが。

・忠烈祀の交代を始終で30分くらい見学しましたが、バトントワリングみたいに銃剣を使って儀式していて、手足の動きからものすごかったです。
 あんな風に出来るまでには相当の訓練がいると思います。
 「すごいですね。」と現地ガイドさんに話したら、『衛兵にとってあれは戦争と同じだから』と言われました。
 しかし、くしゃみも出来ないのだから、すごいと思います。
 日本の若者に勤まるかなあ?

・台湾では、”国の為に死んだ”英雄や軍人を、お寺のような慰霊施設や称える施設を作って、国家が大切に弔っていました。
 私はそれはとても自然なことだと思うけれど、日本では政府がそれをやろうとすると反対する人がいっぱいいる。
 ”国が関与するなら無宗教でやれ”とまでいう人がいる。
 なんかヘンだなあと改めて思いました。
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