スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

殉国七士慰霊祭体験記。 

(*この記事は、以前楽天ブログでやっていた時の過去記事をキャッシュで復元させたものです)

今日は、愛知県の三ヶ根山「殉国七士廟」で開かれた第57回殉国七士慰霊祭に参加して来ました。

(殉国七士廟の由来については■殉国七士廟のお話を参照。)

san1

 ↑三ヶ根山より三河湾方面を望む


 案内して下さる方と一緒に、まずは、付近の慰霊碑や殉国七士廟をボランティアで維持・管理されている方の経営する「ゆーとぴあ三ヶ根」へ。
 
san2

3.jpg

 ↑入ってすぐ左手にある当時を偲ぶコーナー。ちょっと驚いた(ーー;)

san4

 ↑若者に当時のことを語っている逓信隊出身の方。


 こちらでは、旧軍人の方が当時の出来事や思い出を若者に伝える風景がよく見られるそうで、世代間の交流に一役買っているそうです。


 ひと息ついた後は、近くの慰霊塔公園(?)へ。

 もともとそういう場所ではなかったらしいのですが、殉国七士廟がこちらに建立されてから、後を追うように次々と慰霊碑が建立されるようになり、現在の形になったんだそうです。

san5


 山肌に無数の各部隊による慰霊碑が建立されていて(当時を知る方がどんどん亡くなっているのと、全てを把握している人がいないこともあり、行方不明の碑もあるらしい。)、中には同日で慰霊祭を行う部隊も。

san6

 ↑沖縄戦独立歩兵隊だそうです。

 式典の準備をされている方にお伺いしたら、「私以外全員亡くなりました」とおっしゃってました。殉国七士廟の慰霊祭のことを話したら、あまりよい顔をされなかったので、それぞれ思うことは実際あるんだろうな、と思ったり・・・。


san7

 個人的には、このたくさんの慰霊碑を見て、当たり前の話なんですが、改めて、たくさんの部隊があって、たくさんの方が亡くなったんだなあ、と思い知らされました。

 そして、こうして奉られていることすら、愛知県に住みながら知らなかったんだよなあということも・・・。


 奥の一角には、囲まれたスペースで、フィリピン関係の部隊の方たちの慰霊スペースが。

san8


(参考■比島決戦/比島観音)

 こちらだけで82の慰霊碑が建立されているそうです。

 
san9

 ↑頂上の展望台より慰霊碑公園(?)を望む。


 ここは、観光名所として有名なこともあり、駐車場にはたくさんの親子連れが。

 展望台にはとてもキレイなお花畑も作られていて、こいのぼりも青空を気持ち良さそうに泳いでて、

 ”日本は平和だなあ~。”

 と妙にしみじみもしました。



 参拝のあとは、いよいよ会場へ。

 実は、ここに来る前、「当日は右翼の街宣車がスゴイ」という噂を聞いてたのですが、現実は大音響の街宣もなく、街宣車そのものも数台程度で、粛々とした雰囲気でした。


san10

 ↑入り口の塔
 

san11

 ↑岸信介氏の書だそうです。


san12

 ここに、亡くなった7人の方の遺骨が納められているそうです。


san13
 

 慰霊祭は、幡豆町の町長はじめ、地元商工会の有志の方々でつくる奉斎会が主催し、神式で行われました。


san14

 遺族や関係者の方々も見え、およそ2百数十人といったところでしょうか。

san15

 神主の方が、仏教の法事でいうところのお経(用語わかりません。祝詞?汗)を亡くなった方々に対して申し述べるのですが、七士の方の無念さや日本の現状を憂う内容等、かなりわかりやすく肯くことをおっしゃってて、形式だけでないモノを感じ、なかなかよかったと思いました。


san16

 最後の、遺族代表としての挨拶の際、板垣征四郎氏の次男の方(正氏)が

 『S27年4月28日に日本が独立回復をしたとき、全国で4000万の署名が集まり、国会を動かし、東京裁判で戦犯とされた人々は日本にとっては戦犯ではないと名誉回復を決めたのに、どうして未だにA級だのB級だの揉めるのか。どうして事情がわかっている自民党の議員ですら、はっきり説明出来ないのか。』

 との話をされました。

 
 まあ、それぞれ思うことはあるでしょうけど、遺族としては、A級がどうだの言われるたびに、居心地の悪い、嫌な思いをされてるだろうことは想像に難くありません。

 憤慨される気持ちもわかる気がしました。


 この度、自民党はじめ有志の方々のご尽力により、「みどりの日」という抽象的な記念日の名前から、「昭和の日」と名称が変わって始めての記念日を迎えた訳ですが、これを期に、戦後を切り捨てるのではなく、改めて昭和とは何だったのかを問い直す日になるといいと思いました。

 
 今日の集まりに出て、率直に思ったことは、殉国七士の方々を慰霊するのが、地元の町長と商工会で作る有志団体と関係者、そして「右翼」というのが、余りにもコアな集まりで寂しいということです。

 色んな考え方もあるでしょうが、日本の指導者で戦争の責任を一身に負いながら処刑されていった先人を国や大多数の日本人が忘れていることは、冷淡すぎる気がしました。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://mikawannko.blog.fc2.com/tb.php/20-f8afaec7

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。