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お盆のこと。(その1) 

 週末から駆け足で実家にも帰省してきました。

 珍しく親同士の喧嘩を見ることもなく、心穏やかな帰省になりました。

 そして、本当に珍しく、私の帰省に合わせて顔を出した姪っ子が、生まれて初めて実家にお泊りをすると言い出し、単独で泊まって一緒の時間を過ごすことに。

 正直なところ、自分が子供に恵まれないこともあって、子供という存在にどう接していいか戸惑いもあったし、遠距離に住んでいる為、これまで年に数回、数時間上っ面の会話しかしたことがない姪っ子と長時間向き合って、どう過ごしていいか困ったのですが、

 弟の子供の頃のアルバムを見せながら、弟の思い出話を聞かせたり、仏壇の下に仕舞ってあった先祖の写真を見せて、XX家の先祖についての話をしたりして、ふと気づけば他人行儀な枠を外せて、本音トークをすることが出来るようになり、実にお盆らしいお盆を過ごせて、よい想い出とすることが出来ました。

 もう少し大きくなれば、姪っ子も上の学校に行って部活も始まって、祖父母の家にも寄り付かなくなるだろうし、今回のことはいいタイミングで先祖が引き合わせてくれたのかなと感じた帰省でした。


 そして私自身、仏壇の下の写真のことをすっかり忘れていたのですが、今回姪っ子に話すにあたって改めて曽祖父の写真を見て、添えられている勲章が気になり調べてみると、日露戦争の従軍の証と、勲8等(7等?)瑞宝章であることがわかり、こんな内陸の山奥からも日露戦争に出征したのかとしみじみすると共に、曽祖父ってどんな人生を歩んで亡くなったのか知りたいと思いました。
 
takahati.jpg

 でも、もう祖父も祖母もとうに亡くなっており、親は健在だけど聞いたことがないそうで、昔の家もとっくに取り壊され、位牌とこの写真が残るのみ・・・。私が今の姪っ子くらいの年に興味があれば間に合ったと思うのですが、残念でなりません。

 考えてみれば、そんな立派な名士とか社会的に成功した人でなくても、先祖をみれば、地道に一生懸命生きた人もいるだろうし、そんなちょっとした先祖のエピソードを聞くことによって、過去から自分へと続いている血に気づき、誇らしくなったり、自分は何が出来るのか、次の世代にどうバトンタッチ出来るのかを考えるきっかけになるのではないかと思うのです。

 でも、今の時代は、即物的で、同居も面倒だからと別居が殆どで、当然家もどんどん新しく新家が建ち、古いものは壊され、金目のもの、価値があると認められるもの以外は捨てられていきます。

 よっぽど由緒ある家以外は、家という観念自体が前時代的なものとなり、自分の祖先にどんな人がいて、その当時はどんなだったのかを知ることもない。

 そう、自分中心ですごく狭い身内さえ良ければいいという価値観は、すごく寂しいものではないかと感じました。

 もう遅いかも知れないけれど、今からでも、小学校の教育で、「自分の先祖のエピソードを祖父祖母世代に聞く」ということを始められたらいいのになあと思います。

 でも、そういうのって、出自の問題とあいまって、やれ差別だの煩い話になるのでしょうかね?

 適当な先祖が見当たらなければ、地域でもいいと思うけど、子供の立場で、ちょっとでも身近なちょっと誇らしくなる人のエピソードを知るのは、学習意欲の増進にもなると思うし、地域や歴史への興味も沸くいい題材になると思うのですが・・・。


 祖父母の家は、古くて薄暗くて、よくわからないものが沢山で、天皇陛下の写真も含め、写真も沢山ありました。

 でも、父母はその手のものに興味がなかったので、直系のこの曽祖父以降のもの以外は全て捨てられており・・・、30年前にタイムスリップ出来たら、色々他にも何かあったんじゃないかと思うと、本当に残念です。
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コメント

>そんな立派な名士とか社会的に成功した人でなくても、先祖をみれば、地道に一生懸命生きた人もいるだろう

最近、故人の経歴などを葬儀の中で紹介する関係で、故人の話を伺うのですが、家族が誇らしげに経歴を語る人ほど薄っぺらに、逆に語るほどの成功話がないような人ほど深みを感じますね(*^_^*)

実際、自分の親のエピソードなどは、自分の子供に伝えていくべきですよね。

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